vol.376 : After Dark
昼を手放す都市
『Lobsterr Letter』は、毎週届くニュースレターです。世界中から、未来の兆しになるようなビジネスやカルチャーについてのニュースを集め、感想や考えを添えてお届けします。
🔭 Outlook
Same Game, Different Business
ピッチの外で起きていること
東京はここ数年と比較するとだいぶ過ごしやすいが、それでも真昼の日差しは身にこたえる。
真夏の午後2時には、駅前の広場から人がまばらになる。日陰のないベンチは空き、買い物袋を下げた人々は足早に建物の中へ逃げ込む。ところが午後8時を過ぎると、街はもう一度動き始める。スーパーには家族連れが増え、犬の散歩やランニングをする人が現れ、閉店間際の飲食店に小さな列ができる。ちょうど昨日も、お気に入りのカレー屋さんに行ったら「待っている人がたくさんいるから」と入店できなかった。かつて夜は一日の余白だったが、いまや昼から退避した生活の受け皿になりつつある。
都市の暑さ対策は、長いあいだ空間の問題として考えられてきた。街路樹を増やし、屋根を白く塗り、ミストを設置し、冷房の効いた避難場所を用意する。Lobsterrでも、気候変動に対応するこうした新しい都市のスタイルの事例を多く紹介してきた。図書館、美術館、公園などの既存の公共インフラを「気候シェルター・ネットワーク」として暑さに困る人々の避難場所として活用するバルセロナの事例はその象徴だ。もちろん、これらは必要だ。しかし、暑い場所から涼しい場所へ移るだけでなく、暑い時間から涼しい時間へ移るという、気候への適応方法もある。
2026年に『npj Urban Sustainability』に掲載された研究は、オーストラリアのシドニー、メルボルン、アデレードにおけるカード決済のデータを使い、猛暑日に人々の経済活動がどう変わるかを分析している。気温が35度以上になると、正午から午後3時までの消費は8.0%、午後3時から6時までは9.4%減少する。一方で、夜間の消費は昼間よりも影響を受けにくく、猛暑の前後には早朝や夕方以降へ活動が移る傾向も見られたという。人々は暑さに耐え続けているというより、時計の中を移動している。
研究者たちはこれを「一日の中での時間的な行動適応」と呼び、猛暑を迎える前の予期、暑さの最中の抑制、その後の回復という三つの段階で捉えている。興味深いのは、夜間経済を単なる娯楽や観光ではなく、気候変動に対する「行動のインフラ」と位置づけている点だ。バーやクラブの話だけではない。食料を買い、身体を動かし、人と会い、用事を済ませるための時間が、昼から夜へと移動している。
かつて社会学者のマレー・メルビンは、夜を「時間のフロンティア」として捉えた。土地のフロンティアが失われたあと、人間は人工照明によって夜を開拓し、生産と消費の領域を広げていった。近代都市は、夜を昼のように明るくすることで成長してきた。そして現在、夜は、酷暑の昼から逃れるためのフロンティアという別の意味とされている。
とはいえ、都市を夜型にすれば問題が解決するわけではない。夜の涼しい買い物時間は、別の誰かにとっての深夜勤務になる。鉄道やバスの本数が減り、保育や介護のサービスが終わり、暗い道を一人で歩くことに不安を感じる人もいる。子どもや高齢者の生活を簡単に後ろへずらすこともできない。活動時間を選べる人と選べない人のあいだには、「時間格差」とでも呼ぶべきものが生まれるかもしれない。
必要なのは、都市を24時間ずっと稼働させることではない。いつ、何を開くかを組み替えることだろう。図書館や公共施設が、気温のピークではなく、その後まで開いていること。夜間の移動手段が確保され、眩しすぎない照明と静かに過ごせる場所があること。市場や学校、行政サービスの時間が、季節や地域に応じて柔軟に変わること。都市のレジリエンスは、建物の強さだけでなく、スケジュールのしなやかさによっても決まる。
「15分都市」という考え方が注目されている。生活に必要な場所へ短時間でアクセスできる都市をつくる発想だが、これからは時間の視点も必要になるかもしれない。近くに図書館があっても、涼しくなった頃には閉まっている。徒歩圏に病院があっても、最も移動しやすい時間に交通手段がない。これからこんな問題が起きてくるだろう。距離の公平性だけでなく、時間の公平性を設計する必要がある。
未来の地図には、道路や建物とともに時計が描かれるのかもしれない。午後2時に広場だった場所が、午後8時には公共空間として立ち上がる。木陰のように、時間帯そのものが避難場所になる。昼を手放し、夜を誰もが使えるコモンズとして設計し直すとしたら何ができるだろうか。──Y.S
🌏 What We Read This Week
AIラボにクリエイティブディレクターを
投資家でライターのレジー・ジェイムスが、自身のニュースレター「Product Lost」でOpenAIやAnthropicなどの先端AIラボにはクリエイティブディレクターが必要だと書いている。現在AIラボをめぐって語られる話題は、大量失業や兵器転用、データセンター問題など否定的なものが目立つ。もともとは業界関係者の間だけで交わされていたこうした議論が、いつの間にか一般社会にまで広がり、制御できなくなる現象を、ジェイムスは「ナラティブ・エスケープ」と呼ぶ。実際にデータセンター問題は、シリコンバレーとは縁のなかった地域にまで波及し、施設建設への反対運動を招いている。
この記事ではクリエイティブディレクションを「意味をつくる仕事」と定義する。NikeやSupreme、Stripe Press、あるいはトーマス・ワトソン・ジュニア時代のIBM(デザイナーのエリオット・ノイズやポール・ランド、イームズを起用した例)を挙げ、こうした企業が広い文化的文脈の中に自らを位置づけ、社会との信頼関係を築いてきたと説明する。AIラボは人材や資金の獲得競争では優位に立っても、社会の共感を得る物語作りまでは十分にできておらず、これを担う中心人物がまだ存在しないと指摘する。物語のかじ取りを誤れば、どれほど有望な組織でも崩れかねない。だからこそ、この役割を確立できるかどうかが、業界の今後を左右する分かれ目になると述べている。
AI LABS NEED A CREATIVE DIRECTOR Product Lost
アルバムから「時代」へ
この『The New Yorker』の記事は、現代のポップスターがキャリアをアルバムではなく「Era=時代」という単位で語るようになった変化について書かれている。
Eraに含まれるのは楽曲だけではない。衣装、色、映像、恋愛、失敗、復活、ファンが収集する断片的な逸話までが一つの世界観を作る。BTSの映像作品をつなぐ物語や、エド・シーランの「数学時代」、デュア・リパの「低迷期」も、ファンの手によって成長物語へと編集されてきた。この表現を巨大なライブ形式にしたのが、全149公演、3時間超に及んだテイラー・スウィフトのEras Tourだ。それぞれの時代を異なるセットや衣装で再現し、時間やムードを次々に飛び越える構成は、年表を眺めるというよりSNSのフィードを高速でスクロールする体験に近い。スウィフト自身も、15〜30秒ごとに新しいものが現れる感覚を意識していたという。ただし記事は、Era化を華やかなファンサービスとしてだけ捉えていない。パンデミック後の大型ツアーには、荒廃した都市や終末、失われた記憶といった舞台設定が繰り返し登場する。現在に十分な活力を見いだせないからこそ、過去のヒット曲や人格を掘り起こし、壮大な共有史として再演しているのではないかとこの記事は解説する。。2019年から2024年に主要ツアーのチケット価格が約50%上昇したことも、観客が単なる新作披露ではなく「キャリアのすべて」を求める背景にある。
Eraとは成長の区切りであると同時に、過去を何度でも再生可能にするパッケージなのだろう。これはポップスターだけでなく、誰もが自分の人生を複数のバージョンとして語る時代の感覚にも思えた。
Forget Albums—Pop Stars Measure Their Careers in Eras Now The New Yorker
なぜ豊かなのに楽しくないのか
この『The Guardian』の記事は、現代を「快楽なきデカダンス」の時代として捉え直している。食、服、映像、ポルノ、ギャンブル、SNS、AIとの会話まで、刺激はほとんど無限に供給されている。それなのに私たちは、過剰に刺激されながら退屈し、豊かでありながら満たされない。19世紀末のデカダン派が重視したのは、役に立つかどうかとは無関係に、感覚そのものを楽しむことだった。これに対して現代は、豪華さ、人工性、身体の装飾といったデカダンスの表面だけを受け継ぎ、快楽を最適化へ置き換えてしまったと著者たちは指摘する。年間約200万ドルを費やし、111錠ものサプリメントを飲むブライアン・ジョンソンの長寿計画は、その極端な例だ。
GLP-1は食欲を管理し、ルックスマキシングは顔や身体を数値で矯正すべき対象へ変える。もちろん医薬品には実際の効用もあるが、食欲や外見、老いまでも解決すべき非効率として扱う文化については考える余地がある。AIもまた、人工物を愛したかつてのデカダンスを再演しながら、身体的な痛みも快楽も持たないため、何が美しく、何に価値があるかを自ら判断できない。問題は、私たちが贅沢になりすぎたことではなく、贅沢から快楽だけを抜き取ってしまったことなのだ。
この記事を読んで、最適化の反対は非効率ではなく、自分が何を感じているかに注意を向けることなのだと思った。便利さや健康を手放さずに、目的のない喜びをどこまで取り戻せるのだろう。
Why Does Everything Feel So Joyless? Welcome to the Age of Decadence Without Pleasure The Guardian
見られないために投稿する
この『Dazed』の記事は、Instagramに投稿した写真をすぐアーカイブし、数週間後にそっと復元する「ゴースト・ポスティング」という若者の行動について伝えている。復元した投稿はプロフィールのグリッドには戻るが、フォロワーのフィードにはほとんど流れない。つまり、投稿はするのに広く見せようとはしない。2017年に導入されたアーカイブ機能は、見せたくない過去を一時的に隠すためのものだったが、いまではプラットフォームの「見られるほど価値がある」という設計から距離を置く道具へと転用されている。記事に登場する20代のユーザーたちは、いいねの数や投稿直後の反応を気にせず、自分のグリッドを写真日記やムードボードのように使いたいと話す。背景には、Instagramが友人同士の近況共有から、個人ブランドや仕事の実績を並べる半ば商業的な空間へ変わったこともある。興味深いのは、彼らがSNSを削除しているわけではない点だ。残したい記憶や自分らしさはあるが、アルゴリズムによって大勢の前へ押し出されたくはない。これはSNS離れというより、可視性を自分の側へ取り戻す小さなハックなのだろう。オフラインになることだけが抵抗ではなく、参加したまま目立たないという選択肢が生まれていることに惹かれた。これからのSNSでは、拡散する機能以上に「静かに置いておく」機能の方が価値を持つのかもしれない
Is the Grid Dead? How Young People Are Changing the Feed Dazed
韓国婚活市場の新たな「勝ち組」
『ウォール・ストリート・ジャーナル』が、AI半導体ブームに沸くサムスン電子とSKハイニックスの技術者たちが韓国の婚活市場で急速に人気を集めていると伝えている。両社の従業員には今年、サムスンで平均約40万ドル、SKハイニックスでは約50万ドルのボーナスが見込まれており、これまで弁護士や医師、会計士に後れを取っていたが、結婚相手としての評価が一気に上がっているという。デート番組に出演したサムスンの技術者が複数の女性から関心を集めたエピソードや、SKハイニックスの社員バッジを見せた途端に店員の態度が一変する様子を描いたパロディ寸劇も紹介されている。
一方で当事者たちの戸惑いも描かれる。技術者の中には、初めてのデートで勤務先を明かすことをためらう人もおり、好意が本心なのか資産目当てなのか判断がつかないと話す。カップルの中には同業者同士で交際することでその懸念を回避する例もあるという。韓国の株式市場は両社が牽引する形でこの1年半ほどで約2.5倍に成長しており、時価総額1兆ドル超の企業となったことも背景として触れられている。ただ、この裏側では過熱化するAI半導体市場への警戒感も高まっている。韓国政府はサムスンやSKハイニックスに連動する個別株レバレッジETFへの投資を個人の資産の20%までに制限する規制に踏み切った。結婚市場での勝ち組化とレバレッジ投資への過熱は、好況の裏で膨らむリスクも同時進行していることを物語っている。
The Dating Scene That’s Suddenly Dominated by Chip Nerds The Wall Street Journal
🎙️ Podcast
eps.194 : Living Catalogue|Apple Spotify
リビング・カタログの時代 / Netflixの株価急落が示すもの / 「おばあちゃんの趣味」に回帰する若者たち / 「Zyn化」する消費財市場
eps.193 : A Year in Review at Rinnai Aoyama|Apple Spotify
Rinnai Aoyamaにて、1周年を記念した公開収録を行いました。「暮らし」をテーマに、この1年間のLobsterr Letterで取り上げてきた話題を振り返りながら、二人で話しました。
eps.192 : Mesofacts|Apple Spotify
女性の体重が経済格差を左右する / 退職を前借りする世代 / 富裕層が向かうのはゴルフ場ではなくプライベートサーキット / カンヌが本当に売っているもの
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