vol.375 : Narrative Engineer
テック・ブロ化するマーケティング
『Lobsterr Letter』は、毎週届くニュースレターです。世界中から、未来の兆しになるようなビジネスやカルチャーについてのニュースを集め、感想や考えを添えてお届けします。
🌏 What We Read This Week
オゼンピックと夫婦関係
GLP-1系の減量薬が、体重だけでなく夫婦関係そのものを揺るがしているという報告を『The Telegraph』が伝えている。スウェーデンの研究では、急激な減量を経験した人は一般より離婚率が2倍高くなるという結果が出ており、研究を率いたゴーテンボリ大学のペール=アルネ・スヴェンソン教授は、GLP-1薬でも同様の力学が働くとみる。服薬を通じて社交的で健康的な生活へと変わっていく本人に対し、パートナーがその変化についていけないと、そこに緊張が生まれるのだという。
記事には複数の夫婦のコメントが紹介されている。ある女性は服用開始後、同僚の男性から向けられる視線に気づき、長年忘れていた性的な魅力を自覚し、そこで初めて夫との関係に情熱がないことに気づいたという。別の夫婦では、夫の服用後に食事や外出への意欲が消え、かつての陽気さが失われたと妻が語る。ある生物学者は、薬が食欲だけでなく、快感を得るためのハードル全般を押し上げ、性的な欲求も含めて生活の喜び全体を鈍らせる可能性があると指摘する。実際、GLP-1薬と性欲低下・勃起不全の関連を示す研究もあるようだ。夫婦のどちらか一方だけが変わっていくとき、その関係に何が起きるのかを考えさせられる記事だった。
‘Our spark has gone’: The marriages ruined by Ozempic The Telegraph
テック・ブロ化するマーケティング
LinkedInに「ナラティブ・エンジニア」や「メディア・エンジニア」といった見慣れない肩書きが増えていることについて、ブランドコンサルタントのミランダ・シャナハンが『Time』に寄稿している。中身はブランド戦略やマーケティングそのものなのに、なぜ”エンジニア”と呼ばれるようになったのか。
ある調査によると、マーケティング業界の約70%を女性が占めるという。ある職業が女性の仕事というイメージと結びつくと、その職の賃金や地位が下がる傾向が複数の研究で示されており、マーケティングも例外ではないという。
1960年代、プログラミングは女性の仕事とされ、『Cosmopolitan』誌が「理想のキャリア」として特集したこともあったが、NASAのマーガレット・ハミルトンが自らの仕事を正当に評価させるため「ソフトウェアエンジニア」という言葉を作り出して以降、この分野は70〜80年代にかけて高待遇、そして男性中心の職業へと変わっていった。シャナハンは今、同じ力学がマーケティングで逆方向に働いていると指摘する。AIによってコーディングの仕事が急速にコモディティ化する中、OpenAIのグレッグ・ブロックマンや技術者ポール・グレアムらが「これからはテイストこそが差別化要因になる」と語り始めたのは象徴的だという。
テック業界は、居心地の悪いマーケティングという言葉を避け、ブランド戦略を「ナラティブ・エンジニアリング」、マーケティングマネージャーを「グロース・アーキテクト」と呼び替えることで、その仕事を自分たちが心地よく感じられるものに変えているのだ、と論じる。タクシーがUberに、民宿がAirbnbになったように、テック業界は使い古された仕組みをイノベーティブなサービスとして売り直すのが得意だと説明しつつ、言葉を作ることが、その領域を誰の居場所にするかを左右することを示唆する、興味深い記事だった。
The Tech Bro-ification of Marketing Time
神話を自ら手放すブランド
この『The Sociology of Business』の記事は、ブランドが長い時間をかけて築いてきた「神話」を、ブランド自身が手放しつつある現象について解説していてとても興味深かった。
バウハウス、ディーター・ラムス、Appleなど、角を丸め、要素を削ぎ落とす普遍的なデザインの誘惑に、私たちは誰もが加担してきた。一方でフェラーリは、85年をかけて「情熱的で、ロマンティックで、意図的に希少な欲望の対象」を作ってきた。それはある種の神話の創作でもある。ニューヨークのクリエイティブスタジオ Wørks の共同創業者ハリス・ファズラーニは、そういった意味では、ジョナサン・アイヴを起用したフェラーリのLuceのデザインは「スケールの美学」への迎合だと主張する。万人向けの平滑さを持ち込むことは、資産の拡張ではなく神話の毀損ではないか、というのが彼の考えだ。
フェズラーニは、ジャガーの全面刷新にも、レンジローバーの新しいロゴマークにも、ヒュンダイのジェネシスと見分けがつかなくなったベントレーの翼にも同じ症状が現れていると指摘する。ジェネシスの側が「ヘリテージの美学」を借りて格を上げようとしているのに対し、本物のヘリテージを持つブランドがそれを自ら手放している、という反転現象が見られるのだ。
この記事はルネ・ジラールの模倣的欲望を引用しながら、神話とは欲望が模倣する「モデル」そのものであり、モデルを消せば欲望は行き先を失うと主張する。
もちろん、新しい客層を取りにいくこと自体が悪いのではない。Luce 以前のフェラーリは、ファッションやライセンスで「ティフォシ(熱狂的なファン)」へ門戸を開きながらも中心の神話だけは頑なに守るというバランスを持っていた。ブランド拡張の細かなバランスとニュアンスが問われる。ラグジュアリーとは急がないことであり、ロマンスとは利便性の対極にある、という一文が特に印象的だった。
また、この記事を読みながら、神話を持つブランドは、しばしば自分たちの神話が何であるかについて自覚的でないことも問題なのだろう、と感じた。その自覚なさが故に、デザインやブランドの指針を外部に求め、他者や平均の模倣を合格点としてしまうようなブランドを少なからず見かける。むしろ極端な自己模倣の方がこの時代には大きなアドバンテージにもなり得るはずにも関わらず。
In Defense of Brand Myth The Sociology of Business
中庸という危険地帯
この『Considered Chaos』の記事は、20世紀を通じて人にとってもブランドにとっても最も安全な居場所だった「中流」が、2026年にはむしろ最も無防備な立場に置かれていると主張する。ユージーン・ヒーリーによれば、中流とは本来ひとつの取引だった。「良識ある中流」に加われば、システムの側が、その人たちを倒れないよう支えてくれていたのだ。
戦後の「飼い慣らされた資本主義」の下、賃金は上がり、雇用は保証され、子どもは自分より豊かになるはずだった。マスメディアが単一の記号体系を全員に同時配信できた時代、ブランドは「合成された消費者」に向けて巨大な広告を流せばよかった。それが機能したのは、中産階級が本当に存在したからだ。
トレンド予測家のショーン・モナハンの言葉を借りれば、中産階級だけが「自己実現と地位不安という両刃の剣」に苦しんでいる。貧しい者は最初から無防備でそれを知っており、富める者はプラットフォームと資産を所有している。中流階級を守るはずだったスキル、資格、制度への帰属こそが、いま破壊されている対象となってしまっている。
ヒーリーによると、ブランドの側でも同じ崩壊が起きている。CasperやWarby Parkerなどが敷いた「見た目は良く、何も言わない」ミレニアル系D2Cブランドの型は終わり、セルフケアやサステナビリティといった柱は本気の約束ではなく購買者の「洗練」を確認する美意識にすぎなかったことが露呈した、とヒーリーは手厳しく指摘する。
そもそも「憧れ」を売るには、社会が憧れという概念を信じている必要がある。しかし、K字経済のもとでは、本物のラグジュアリーに手を伸ばす少数か、家賃に追われてコストコに向かう多数かのどちらかしかない。憧れが逃避に置き換わる時代、ブランドは政治になる、とヒーリーは書く。日本のように中庸を美徳としてきた社会で「立場を取らないこと」がリスクに転じるとき、私たちは何を選ぶのだろうか。
The Death of the Middle Considered Chaos
ウェルネスの次の潮流5選
VMLが2026年のウェルネストレンドを5つ紹介している。フィットネスは「何年健康でいられるか」という長寿志向へと再定義されつつあり、11月にニューヨークで開催される「Super Age Games」は、バランスや認知能力を競う”老いへの強さ”を測る大会だという。米フィットネス大手Life Timeが展開するウェルネス住宅やAIパーソナルトレーナーの台頭についても触れられている。
特に面白いなと思ったのは、後半の2つだ。一つ目は、「ジュニア・ジムフルエンサー」。WHOによれば11〜17歳の81%(女子は85%)が運動不足とされる中、10歳のレスラー兼パワーリフター、ルーシー・ミルグリムのような子供のフィットネス系インフルエンサーが台頭しているそうだ。彼女は80kg超のウェイトを持ち上げる動画をTikTokで公開しており、かつて成長を妨げるとされてきた子供の筋トレも、適切な管理をされていれば安全だと医師の見方が変わってきているという。スイスの調査では、フィットネス系クリエイターをフォローすることが10代の運動意欲にプラスの影響を与えることもわかっている。
もう一つが「ピークスパン」という概念だ。バイオテック企業Insilico Medicineの創業者アレックス・ジャボロンコフ博士は、病気なく生きられる期間を示す「ヘルススパン(日本語だと健康寿命と訳されるだろう)」に代わり、身体的・認知的パフォーマンスの90%を維持できる期間を意味する「ピークスパン」に注目が集まっていると語る。高額なバイオハックというより、日々の運動やバランスの良い食事、十分な睡眠といった基本こそが、ピークを長く保つ鍵だという専門家の指摘は、シンプルだが説得力がある。
Five wellness trends to watch VML
🎙️ Podcast
eps.192 : Mesofacts|Apple Spotify
女性の体重が経済格差を左右する / 退職を前借りする世代 / 富裕層が向かうのはゴルフ場ではなくプライベートサーキット / カンヌが本当に売っているもの
eps.191 : A Thousand Strangers|Apple Spotify
「大人」という幻想を手放すとき / ミニオン語というアルファ世代の新しい共通語 / ホットピンクというW杯の新しい制服 / コンクリートという地質学
eps.190 : Myth and Scarcity|Apple Spotify
エンタメの脱グローバル化 / 中国で「バーチャル両親」が流行る理由 / 税制の実験場としてのカリフォルニア / ウェルネスという名の強迫 / スロップ時代に何が残るのか
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