vol.363 : Deliberate Humanness
ちゃんとしてなさの価値
『Lobsterr Letter』は、毎週届くニュースレターです。世界中から、未来の兆しになるようなビジネスやカルチャーについてのニュースを集め、感想や考えを添えてお届けします。
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アナログ回帰は幻想だった
フィルムカメラやレコード、ジャーナリング、編み物など、デジタル疲れから距離を取り、オフラインでの生活を取り戻そうとする動きは、ここ数年カルチャートレンドとして語られてきた。しかし、ブランド戦略家のユージーン・ヒーリーは、この記事の中でその多くが幻想だったと指摘している。記事の冒頭では、フィルムカメラで撮影しながら、現像したネガは受け取らず、データだけを受け取る若者のエピソードが紹介される。そこにあるのは、アナログな体験そのものではなく、アナログっぽさの消費でもある。
興味深いのは、ヒーリーがこの現象を単なるノスタルジーやライフスタイルの話としてではなく、経済構造や社会不安と結びつけていることだ。AIによってジュニア職が代替され、数年単位で習得すべきスキルが変わり、学歴やキャリアの価値が揺らぐ時代の中で、多くの人に残された唯一の投資可能な資産が、自分自身のイメージや存在感を含むパーソナルブランドになっているという指摘は印象的だった。SNSはもはや承認欲求のためだけの場ではなく、生存戦略として機能している。
だからこそ、多くの人はオフラインへ移行することができない。そして、その反動として広がるはずだったアナログな文化ですら、最終的にはインスタグラムやTikTok上で共有され、新たなカルチャー資本として消費されていく。
ヒーリーは、「美学的な抵抗は、構造的変化の代替にはならない」と書く。フィルム写真やオフラインクラブが増えたとしても、人々が常に自分自身を最適化し続けなければ生き残れない社会構造が変わらない限り、その抵抗もまた既存のシステムへ回収されていく。私たちが本当に求めているのは、デジタルからの逃避ではなく、常に演じ続けなければならない人生からの解放なのかもしれない。
The Analog Revival Did Not Take Place Considered Chaos
レコード復活の次はDVDとBlu-rayか
レコードが復活して久しいが、今度は同様のトレンドがDVDやBlu-rayで起きるかもしれない。『ロサンゼルス・タイムス』がその様子を現地のビデオ店などを描写しながら伝えている。
ロサンゼルスのビデオ店、VidiotsやCinefile、Vidéothèqueで、若者たちが棚の間を歩きながら、背表紙を眺めつつDVDを手で選ぶようになっている。この記事に出てくる24歳のアイダン・ギャノンはすでに200枚ほどのディスクを集めている。「Netflixを1時間スクロールして結局いつもの番組を見るより、自分の棚から一本を取り出すほうがいい」と彼は語る。
この記事によると、DVD、Blu-ray、4K Ultra HDの販売数の減少率は2023年と2024年には20%超だったが、2025年には9%に鈍化した。CriterionのようなブティックBlu-ray企業も若い客層の熱気を背景に成長している。Vidiotsは2026年1月に1日平均170本を貸し出し、過去最高の売上月を記録した。その月は500本貸し出した日もあったという。1枚3ドルのレンタルで、デヴィッド・リンチやエレイン・メイの作品が人気を集めているそうだ。
この回帰は懐古趣味だけでなく、いくつかの作品は配信で見つけることができない、という事情もある。6つのサブスクに加入しても観たい作品が見つからず、ある日突然リストから消されることもある。そんなプラットフォーム支配への疲れが彼らを物理メディアに向かわせており、それはある種の「反乱」でもあるとこの記事は紹介している。
配信サービスは実質的に無限のコンテンツへのアクセスも生んだが、同時に受け手側に疲労や倦怠感、失望も生んでいる。この記事では物理メディアの復活を紹介しているが、それ以外にもどのようなものが生活者のこうした負の感情に応えることができるだろうか。
DVDs are the new vinyl records: Why Gen Z is embracing physical media The Los Angeles Times
ちゃんとしていなさが価値になる時代
AIによって「それっぽくて綺麗なもの」が大量生成されるようになったことが、センスの良いものの基準にも影響を与えている。この『The New Yorker』の記事では、そんな時代に広がる「意図的な未完成さ」について取り上げていた。
記事の中では、AIの影響で仕事が減ったデザイナーが、地域の交通誘導員をしながらzineを制作し始めたエピソードが紹介されている。ラフなスケッチや走り書きのようなテキストを載せたそのzineは、人間がつくった痕跡を感じさせるものとして支持を集め、多くの購読者を獲得したという。
この記事では “tasteslop” という言葉が紹介されている。AIによって、洗練されたビジュアルや良いデザインを瞬時につくれるようになった結果、逆に完璧さそのものがコモディティ化している。だからこそ今、デザインやカルチャーの領域では、手書き感、粗さ、誤字、ノイズのような、最適化されていない痕跡が価値になり始めている。
最近のブランドデザインや音楽カルチャーの中で、ちゃんとしていなさがむしろ洗練として機能しているのも、その流れの一部なのかもしれない。ただ興味深いのは、記事が最後に、AIもまた雑さを模倣できるようになり始めていると指摘していることだ。つまり、人間らしさですらスタイル化され、テンプレート化される可能性がある。そう考えると、これから価値になるのは単なるビジュアルや見た目ではなく、その背景にある身体性や時間、文脈、実在感のようなものなのかもしれない。
A Lo-Fi Rebellion Against A.I. The New Yorker
ウェルネス冷蔵庫という新しいトレンド
高級冷蔵庫ブランドとして知られるSub-Zero & Wolfだが、その原点は1943年、創業者が糖尿病を患う息子のインスリンを家庭で保存するために開発した冷蔵技術にあったという。その歴史が、いま新たな形で注目されている。この『The Financial Times』の記事では、近年広がりはじめている「ウェルネス冷蔵庫」のトレンドについて取り上げていた。最近では、キッチンだけでなく、浴室や寝室、クローゼットにも小型冷蔵庫を設置し、GLP-1薬剤やペプチド、プロバイオティクス、スキンケア、サプリメントなどを保管する人が増えているという。特に美容や健康への意識が高い層を中心に、冷蔵庫が単なる家電ではなく、セルフケアのためのインフラの一部になりはじめているそうだ。
記事の中では、「バスルームは、ますますプライベートなウェルネス空間として設計されるようになっている」という建築家のコメントも紹介されていた。浴室や寝室は、単なる生活空間ではなく、回復やコンディションの最適化のための空間へと変化しつつある。これは最近の長寿やリカバリー、睡眠最適化といった流れとも重なっている。さらに面白いのは、この流れが機能性だけではなく、インテリアやラグジュアリーとも結びついていることだ。冷蔵庫を家具のように隠したり、素材感を重視したデザインを採用したりと、ウェルネス家電そのものがインテリア美学の一部になりはじめている。かつてのワインセラーやホームジムのように、これからは健康管理のための冷蔵インフラが住空間の重要なパーツになっていくのかもしれない。
Why the cool kids have fridges in their bathrooms… The Financial Times
新時代のデザイナーに求められるもの
ベンチャーキャピタルのa16zが「Design Engineer Fellowship」を募集している。その募集要項に書かれているデザインの役割の変化の論考が面白かった。
かつてデザインチームの仕事は、広告、UI、画像、キャンペーンといった「成果物」を作ることだった。しかし今は、一つひとつのアウトプットではなく、それらを継続的に生み出す「システム」を設計することが重要になりつつある。ブランドも、完成されたキャンペーンではなく、状況に応じて変化し続ける「生きた仕組み」になっていく。未来のデザインとは、何を作るかではなく、「どう作られるべきか」をデザインすることなのだとこの記事は主張する。
ここで新しい80/20ルールが生まれる。AIやバイブ・コーディングは、最初の80%を驚くほど速く埋めてくれる。本当に価値が出るのは残りの20%だ。そこでは、何を削るか、何がブランドらしいか、どこまで品質を引き上げるかという判断が問われる。AIが実行をコモディティ化するほど、人間の価値は「作る」から「選ぶ」へ移る。無限に生成される案の中から、会社にとって正しいもの、基準を超えるものを見極める審美眼こそが差別化になる。
Figmaを使いこなしていたデザイナーがCursorでコードを書き、一方でReactに精通するエンジニアがプロダクトの質感やブランドの温度を語り始めるなど、デザインとエンジニアの職能の境界は崩れている。今後は肩書きではなく、テイスト、システム思考、技術的流暢さを同時に持てるかどうかが重要になる、とこの記事は主張する。また、セキュリティ脆弱性、保守できないコードベース、デモと本番環境の深い溝など、AIで動くものを作ることと実際に使われ続けるプロダクトを出荷することはまったく違うことを認識することが重要だ。この差分を理解している人材こそが、これからのデザインエンジニアリングを形づくる。
この記事では、独自のワークフローが「新しいクラフト」になると語っているのが面白い。使用するツール、プロンプトの構造化、再現可能な制作システムなどが新しいクラフトになる。
ここで語られている通り、テイストとシステム思考という、一見相反する概念を一人の中に内在化することができるかどうか、またそれが重要になるとすれば、ユニークな第三の柱をどう構築するかが重要になっていきそうだ。
Introducing the a16z Design Engineer Fellowship It’s Time to Build
🌿 Cool Things of the Week
伊藤総研さんと内沼晋太郎さんが新しく始められたPodcast『編集を巡る。』に、ゲストとして出演させていただきました。ぜひ聴いてみてください。
編集を巡る。Ep.6:「情報収集は、技術と渇望、少しの天邪鬼。」
Spotify Japan公式Podcastプレイリスト『Inspiring Voice』のカバークリエイターに、Lobsterr FMが選出されました。
Inspiring Voice
Substackが動画インタビューシリーズ『Open Tab』をスタート
Open Tab
BBCによるデイヴィッド・アッテンボロー100歳記念ロングリード
Attenborough: The risk-taker who changed how we see Earth
🎙️ Podcast
eps.187 : Myth and Scarcity|Apple Spotify
家族の形の再設計 / マイクロドラマ量産工場の舞台裏 / Therapy Speakのその先へ / 平等の先にある、非対称な恋愛
esp.186 : The Book Crawl|Apple Spotify
台頭するクリップ・エコノミー / ベーグル業界に群がるファンドたちへ / 多様化するブッククラブの形 / メディアを席巻するパラソーシャル・コンテンツ / リカバリーが競争領域になる
eps.185 : Behind Overview Effect|Apple Spotify
後退的ノスタルジア / 「Taste」から「Character」へ / ビリオネアはなぜメディアを買うのか / 友達との会話が少し面白くなる質問
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